12.2017 Cover story

フランジパニの花

バリにある小さな家という名のホテルに泊まり、その隣の花の岬という名のハイダウェイに毎晩ビールを飲みに行った。萱葺き屋根が少しかかっただけのバーで、ビーチの小道に沿って作られている。カウンターの向こうには暗闇のなか水平線から隆起する白い波頭が真一文字に見える。どの夜も客はいなかった。古くからのバーテンドレスと’very quiet’と言って笑った。毎晩、本当に誰もいなかったのだ。波音だけが響いた。

世の成り立ちや制度や建築はフィクショナルだから、旅で泊まる宿は高級すぎても安すぎてもいけない。ちょっとバラけた感じの中級ホテルがいいだろう。ラマンの冒頭でデュラスが嵐の通り過ぎた後の顔の方が好きですと言われたとか書いてあったが、それと同じで滞在する場所もそんな所がいい。一人で旅に行くならば媚も衒いも気遣いも必要ないので徹底的に自分の価値感を追求すればよい。

寺院の中に壁で囲われた領域があり、この中で祈りと供物が捧げられた。壁外の傍らに小さな賭場が開かれていた。そこだけ異様な空気を発している。女達は近寄ることはできなかった。別のオダランでも中心に少年の姿を見ることができる。大人達が賭け事を通して狩猟の技術を教えてるようだった。あるいは賭けられるものが取り替えのきかないものであることを伝えているようだった。

見える物よりも聞こえる音に驚くことが多い。サヌールのホテルに夜到着し、部屋に荷物を置くと、海鳴りの音が聞こえる。庭から連続するビーチに出ると、正面の暗闇のなか一直線の白い波頭が見える。次々と波は隆起し、頂点に達した部分から規則的に崩れていく。崩れる波は海岸線に沿って果てしなく続くため、そこから発する音は一体となって聞こえる。波は絶え間なく生まれ波音は重なって行く。

ロスメンと呼ばれる安宿の庭に赤いフランジパニが咲いていた。これはレッドジパニだろ?いやカンボジャだよ。ロスメンの使用人と毎日同じ会話を繰り返した。クタまで送ってくれた運転手は、フランジパニもカンボジャもプルメリアも同じ花だと言った。去年の事件の翌日からジャラン・レギャンの両側は白い花で飾られた。プルメリアではなくチャンパカの花だと言った。セレモニーに使う花だと言った。

祭壇の廻りには血の匂いが漂っている。数週間前から用意された供物の発酵する匂いなのか。昨夜なされた供犧の匂いなのか。祈りとインセンスの匂いを重ねながら場の緊張感が高まっていく。ゴン・クビャールのリズムが加速し、満月のオダランがはじまる。初日は祭りが始まるまで見せて貰う約束だった。祭壇の中心から離れ、しばらく寺院を眺めた後、ウブドの中心部へ戻った。

ゴア・ラワで一人のヨーロピアンが近づき蝙蝠を撮りたいのだがフラッシュを焚いて良いかと聞いた。大丈夫ですよ。ここで初めてフラッシュを使っていた。そのぐらいの光では蝙蝠は逃げませんよ。それにセレモニーも行われていないのだから。さっき降った雨のせいかその時間にしては光度が落ち寺院の正面には黒い砂浜が横たわっている。海は水平線からの湿った風を孕んでいた。(2017.12.18)